まめぞー's Style

おっさんじゃないのに、おっさん。それがまめぞー's Style

【考え】お待たせしました。貴方のまめぞーです。

えー、ブログ書いてなくてすみません。
別に仕事が忙しかったわけじゃありません。
まぁ、なんといいますか、悩んでたというか、考えてたというか、
突然、ネガティブシンキングになるといいましょうか。
年に何回かあるので、お気になさらず。

人と話すことすらうっとうしくなるので、
ベルアイルにもINしてなかったんですけどね。
イライラした状態でINしても、人を不快にさせるだけだし。
同じ理由でブログも書いてませんでした。
ボチボチ大丈夫。
てか、心配させるのもアレなんでね。

こんなときは、本でも読んで寝るに限ると
ちょー内省中な3日間でございました。

以下、理由。
長いぞ。
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【考え】そろそろ、お通夜ムードに喝を入れるか。

7時28分の恋人、半井小絵ちゃんの天気予報を見るたびに、

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この奇跡が今日も起きるかも!!!と1人で * doki doki * しています。
まめぞーです。こんばんは。
小絵ちゃんの「名古屋から那覇です。」という言い回しが大好きです。

なにやら迷える子羊たちが、湿っぽいお通夜ムードを醸し出しているので、
ここらでいっちょ、おっちゃんが大上段から
この子らを切って切って、切りまくりたいと思います。
さて、レッツゴー!


お前らはブログをいったい誰のために書いてるんや?
いったい何のために書いてるんや?
降ってわいた不幸にビクビクしやがって。
お前らは自分のために書いてたんやないんかい。
それと、お前らを面白いって言うてくれる人のために書いてたんやないんか。

わしは、わしのため書く。
それを面白いって言うてくれる人のために書く。
わしが面白いって思ったことを、わしが楽しいって思ったことをな。
わしが書くことを面白いって言うてくれる人のために書くんや。
わしのことを好きって言うてくれる友人や読者のために書いてるんや。

お前らは誰のために書いてる。
アホどもが。
お前らのこと、うぜぇだの面白くねぇだの言う奴らのために書いてたんか?
今回、お前らがな、そうやってゴジャゴジャ言うてるってことはだ、
お前らのこと面白いって言ってくれてた人より、
目に見えん「彼ら」を優先させたってことじゃねぇか。
名前も知らん友人でもない、お前らのことを何も思ってない奴らを
結果として、お前らは選んだってことに気づいてるんか?

やれ傷つけるようなことは書きませんだの、
やれ妬まれるようなことは書きませんだのと
傷つく、傷つかない、妬む、妬まないを決めるんはお前らじゃねぇ。
読んでくれてる読者の人が決めるんや。
装備だのステだの書かないほうがいいとか、役に立つ情報だとか、
みんな読んでる人が決めるんだよ。
他の誰でもない、今コレを読んでる「あなた」が決めるんだよ。

それが面白いって思えば読んでくれる。
面白くないって思ったら読まんのや。
お前らのブログは、ベルやってたら必ず読まなあかんのか?
わしはわしが面白くないって思うブログは読まん。
何で読まなあかんねん。

わしのブログだってそうや。
おもろいっていうんは、読んでくれてる人が決める。
来てくれた人は、必ず楽しませる。そんなつもりで書いてる。
でもな、わしがいくらこれおもろいやろ!って言うても、
こいつアホか。おもろないわって思うんは読者や。
だから書く。
わしがおもろいって思ったことを、わしが感じた全てを書く。
そら傷つけるかもしれん。
誰かを傷つけてしまうのは、表現する上で必ずついてくる問題や。

「これを読んで不快になるかもしれません。スルーしてください」だと?
それがその後、読んで不快になった人への免罪符になるとでも思ってるんか。
わしは傷つける。
確実に傷つけてるはずや。
もちろん、こんなエロいことばっかり書いてたら
セクハラ言うて不快に思う女性もいるだろう。

でもな、こんなわしのブログでも面白いって言うてくれる人はおる。
わしのブログを見て回避型にしてみました!って言うたんは誰や。
わしのブログ見て感動しましたって言うてくれたんは誰や。
お前らのブログをみてな、そう思ってくれる読者の人は、
お前らの後に続こうとしていた読者の人は必ずおるんや。
コメント欄みてみ。
そんな人らようけおるやろうが。

情報の1つである「彼ら」が全ての世論を形成しとるんか?
あそこはベルアイルの誰もが読んで、その通りにせなあかんのか?
何に怯えて、お前らは自粛しとんねん。
何を共同幻想に怯えとんねん。

「侮らず、かつ怯えず」
これがわしの「彼ら」に対する態度や。
わしの生き方を決めるのは「彼ら」やない。
わしや。
その判断材料の1つであるに過ぎん。
だから必要以上に侮らない、かつ必要以上に怯えたりはしない。

茂木健一郎「表現者はいいわけをしてはいけない。」
わしはこれを読んで、わしが感じていたことをスマートに表現していたから感動した。

でもな、わしは誤解を解こうと必死になった。
先日、わしはブログで点を傷つけてしもうたわ。
わしの表現の未熟さから、そうさせた。
それを必死に誤解を解こうとした。
当然や。
わしはこれからもずっと点と友人付き合いをしていきたいし、
大事な大事なメンバーやからや。
これ書いてるんも同じ理由や。

ぶれるな!!!
お前らはお前らのこと嫌いなやつらのために書いてるんじゃない。
お前らのために。
そして、お前らのことを面白いっていってくれる大事な人たちのために書いてるんや。
この雰囲気をみて、お前らのあとに続いてブログ書くやつが出てくるか?
ベルアイルって楽しいものだって思うやつが出てくるか?
そこを履き違えるな!!!


さ、言いたいこと、書きたいことを思いっきり言わせていただきましたよ。
ここまで読んで理解してくれた方は、
大上段で普段使わない言葉を使って書いたことも分かってくれると思いますけど。
まぁ、受け入れてもらえなくてもおk。
私が勝手にそう思って、好き勝手に書いただけだから。
あー、やっぱチンチンの話が楽やわぁ。

5/31 追記
「アイデア・思想・考え」カテゴリだったので、
FC2ベルアイルカテゴリへのリンク、
ベルアイルTBPへのトラックバックは送っていませんでしたが、
ベルに関する考えであることから、それらを行いました。
より幅広く読んでいただきたいとの思いもあります。
普段は行いません。
ベルアイルには関係ないですから。

テーマ:新ベルアイル - ジャンル:オンラインゲーム

【考え】「ここに在る」ということ。

「ここに在る」
これは、私がよく使う表現です。
この言葉の中には、私の思想の根底を流れる潮流が息づいています。
今日はそれをお話したいと思います。

私は島に住んでいます。長崎から100キロ離れた離島です。
一時期、スローライフ、癒し、ロハスといった言葉がもてはやされ、
自然と一体になった生活をしようということが、盛んに取り上げられました。
私は島に住んでいながら、この一連の流行に違和感を感じていました。
人々がそれを求める理由として、退屈で終わりの無い日常生活からの脱却、
単なる憧憬だけで、そういった生活を求めているように私には思えたからです。

つまらない日常生活、毎日が同じで単純。
そうした生活から抜け出したい。
どこかに自分を救ってくれる、日常から抜け出せる楽園のような場所がある。
そこに行きたい。そこへ行けばこの倦怠的な虚無感から抜け出せる。
そんな考えを持った人たちが、こぞって「スローライフ」とやらを
追い求めていたのではないでしょうか。

それ以前にも、「本当の私」というものがどこかにいて、
それを探そうとした「自分探し」といものがもてはやされました。
ソフィーの世界という本に端を発し、哲学書などを読むことが流行しました。
これもまた、スローライフを求めた心理と同じものだと考えます。

私は島に住んでいます。
休みの日には釣りに行き、サイクリングで自然を楽しみといったことは、
そうした人々から見れば、羨ましがられるスローライフかもしれません。
しかし、島にも都会と同じように生活があります。
喜び、楽しさ、悩み、苦しみ、それは必ずあるのです。
都会と田舎では、その形が違うかもしれませんが、本質は同じです。

どこに住んでいようが、どの時代だろうが、
人の営みになんら変わることはありません。
自分で見つけ出そうとしなければ、何も手に入らないのです。
私は、今まで都会での生活も田舎での生活も両方体験しました。
1番の都会で仙台市に住んでいましたし、1番田舎では出生地でもある今の島です。
他にも大学は高知、その後は秋田、下関など転勤を繰り返したこともあります。
昨年度までは、何度も東京に通っていましたが、ここでも住めるなと感じました。

「ここに在るということ」
それは感動であり、喜びであり、嬉しいこと、悲しいこと、苦しいこと、悩み
様々なものが、望めばいつでもそこに在ります。
それに私は気づきました。
元をたどれば、幼いときの海での体験に源流を求めることができます。
何度か書きましたが、海で1人で泳いでいて寂しさを感じたとき、
ふと、周りを見渡せば、青い海も、青い空も、輝く太陽も、そこに在ったのです。
いつもそこに在るということに気づいた最初の体験です。

それともう1つ。
大学時代、初めての海外旅行でもあるフランス留学が私の大きな経験となりました。
シャンソンに憧れ、フランス、特にパリというものに憧れ、
自分の憧れの地に行くことで、何かが得られるんじゃないか、そう考えていました。
スローライフを求める人々の心理と同じです。
パリの町並みに感動し、憧れの海外で有頂天になっていました。
そしてカンヌでの学校生活が始まり、いろんな国の人と話す機会がありました。
とある美術館では、学芸員の方と日本の歴史の話もしました。
そこで私は気づきました。
私は日本を何も知らない。日本だけでない、自分の住んでいる場所のことも、
風習も、言葉も、高知のことも、島のことも、そこに住んでいる人のことも、
語るべき何物も私は知らないんだと気づいたのです。

ショックでした。
世界は広いというよりも、それに気づいてこなかった自分自身の小ささを感じました。
何もフランスでなくても、日本でも、どこでも、島でも、そこに在るのです。
感動が、喜びが、楽しさが、苦しさが、悩みが。
それからです。日常というものが楽しいものだと感じ始めたのは。
ニヒリスティックに捉えていた、退屈で終わりが無く
毎日が同じであるという観念から脱却できたのです。

毎日通う道でも、必ず変化があります。
花が咲き、風が吹き、雲があり、天気があり。
そこには、何1つ同じものはありません。
通いなれたその道で、新しい発見をすることも、私にとっては大冒険なのです。
それは都会だろうが、島だろうが何ら変わることはありません。

この「ここに在る」という考えは、
レイチェル・カーソンが「センス・オブ・ワンダー」と呼んだ考えに似ています。
一般の西欧キリスト教的世界観には馴染めない部分もありますが、
彼女のいう「センス・オブ・ワンダー」は、私には十分に理解できるものです。
子供の頃には多くあった選択肢が、大人になるにつれて増えているはずなのに、
多くの人々は、この選択肢を自ら狭めているような気がしてなりません。
もしくは持っているはずなのに気づいていない、気づこうともしていない。
私にはそんな気がするのです。
与えられることに慣れてしまうと、それに気づくことはできません。
世界は常に新鮮な驚きに満ちているのです。

よくこんな話を見聞きすると、少年みたいだねとか。
いいよね。気づけるから。できる人だから。と言う人がいます。
私は違うと思っています。
気づこうとしたからから気づいた。
できるからやれたんじゃない。やったからできたんです。
ニヒリスティックな考えに捕らえられ、身動きができなくなっている人は、
実は自分もそうなんだ。気づけるんだ。できるんだと気づいていません。
そして何もしないまま、自分は違うんだと自分1人だけ高みに置きたがります。
彼らは「しょせん」という言葉をよく使います。
私はそれを聞く度に、お前は何を知ってるんだと言いたくなるのです。

orange pekoe は、「 Happy Valley 」の中でこう歌いました。

みつけて Happy Valley Sunny Happy Valley
愛しい日々は 側にあるの
みつけて Happy Valley Sunny Happy Valley
変わらずあるの 時をこえて
誰にもあるの 世界をこえて
必ずあるの Happy Valley


私がみつけた「 Happy Valley 」が「ここに在る」ということなのです。

最後に1つ。
メリーポピンズから、この歌を。
「 Just a spoonful of sugar helps the medicine go down 」
砂糖1つで苦い薬も楽に飲める。



ジュリーアンドリュースかわいいーーーーーーー
歌うめぇええええ

【考え】声に出して読みたいエントリ。

今週と来週を乗り切れば何とか普通に帰れそうですよ。
まめぞーです。こんばんは。
今週は、ちょびっとずつ早いので、ブログ書ける時間も何とかあります。

昨日、ろっくんのブログのコメントに、
「あと改行の仕方でリズムが途切れちゃう部分があるので
もったいない気がするー。」と書きました。
ろっくんが改行ポイントが難しいと言っていたので、コメントで返そうと思いましたが、
今日は、私なりの改行の仕方を書いてみたいと思います。

みなさん、お気づきでしたでしょうか?
私のブログの全エントリでは、こんな風に文章をつなげていったとき、表示範囲を折り返して文字がつながっていくということが、全くないんです。
ぶっちぶち途中で切ってます。

折り返して表示させると、言葉のリズムが崩れる気がするんですよ。
どうしても、右から左に目が行く際に間があきますよね。
通常であれば、「折り返して」なのに、「折り 返して」ってなってしまって、
自分自身でも読みながら、すごい違和感を感じます。
好みかもしれませんけどね。

1番簡単なのは、句読点で改行すること。
私は、「。」の後は文章をつなげて書きません。
1センテンスが表示範囲を超える場合は、読点で折り返したりします。
句読点のつけ方自体は、これは個々人のセンスなんですけどね。
私は、めっちゃ下手です。
たまに変なところで区切ったりしてますよ。

改行の仕方の例として、昨日のエントリをあげてみましょう。

「うん。
この髪型いいなぁ。
フォンイ先生のときは、最大のセクシーポインツ「泣きぼくろ」が
あまり目立ちませんでしたが、
玉蓮さんはバッチリ!


「うん。」で改行すると、間が空いて、ほんとにうなずいた感じが出てません?
その後、「この髪型いいなぁ。」ってしみじみと。
うん。この髪型いいなぁ。って書いてしまうと味気ない気がします。

それと、表示範囲はまだ残ってるのに、改行する場合もあります。

あまり目立ちはしませんでしたが、玉蓮さんはバッチリ!

この部分ですね。
これも上に書いたように、表現上の効果を狙ってるつもりです。
だって、「玉蓮さんはバッチリ!」っていう部分が、1番言いたいことですもの。
この辺を意識的か、無意識のうちかやってます。
たまに書いた後、違和感感じて直してますけど。

まぁ、このおかげで1エントリが、やたら縦に長くなるんですけどね。

今日は、こっからが本題です。
「声に出して読みたいエントリ」
ずばり、タイトルどおり声に出して読んでみたら
どこで改行するかが分かるような気がしますよ。

私はプレビュー画面を見ながら、実際に声には出しませんが、
声に出して読むつもりで見返してます。

声に出して読んでみると、改行ポイントが分かるんですね。
表示範囲超えで折り返された場合、読んでて明らかに違和感を感じますよね。
それは朗読したときの日本語のリズムが強制的に狂わされてるからなんだと思います。

ここ変でしょ?
いつもなら、「日本語のリズムが」の後で改行してます。

私は仕事でイベント関係の司会をすることが多かったのですが、
しゃべるシナリオなんかも、全部自分で作ってたんです。
別に声が良かったから選ばれたわけじゃありません。
たまたま担当になった仕事が、そんなのが多かったんです。

書いてはプリントして、読んでみる。
読んでて変な部分は修正する。
これを繰り返して、1つの台本を作り上げます。
おそらくそれで、自分で声に出して読み返す癖がついたんだと思います。
紙ベースの文章であれば、段落ごとにとか改行してますけど、
ブラウザを使って画面上で見ると、改行しないとどうも見づらいんですよね。

全部自己流なんで、間違ってるかもしれません。
何らかの参考になっていただけたら幸いですが。

あとは短いセンテンスとなるよう心がけるとか、
文章を書く上で気をつけていることなんかは他にもあるんですけど、
そのうちまとめて書いてみようと思ってます。


うpった後も、句読点修正をしたり、おかしな表現直したりしてますよ。
これは、修正後に書いた文章です。

【考え】大事なことは、いつも忘れるんだよね。

今日はいつもより少し早く帰ってきたので、
軽くお酒を飲んで、今の時間です。
まめぞーです。こんばんは
土日はゆっくり休ませてもらおうかな。
どうしようかな・・・。
出ようかな・・・。

本当は、今日までブログお休みさせていただこうと思ったのですが、
どうしても書き留めておきたいことがあったので、この時間ですが書きます。

本日、私のことが新聞記事になりました。
地方紙のローカル版ですが、かなり大きく取り上げてくれていました。
朝、職場に行くと、いろんな人から「載ってたねー」と言われ、
いっぱいいっぱいおめでとうって言ってもらいました。

私はというと、ありがとうございますって言ってましたが、
もう少しいい格好で撮ってくれたら良かったんですけどねぇ。
ネクタイなんて100円均一で買ったやつですよーとか言ってました。
恥ずかしくて照れ隠ししたかったんですよね。

ただ、仲良かった人たちから、
遠くに行った気がするねって言われたのが寂しいなぁ。
俺は俺で変わらないから、一緒に飲んだりしたいのにね。

そして、新聞にとりあげられましたーと先生にメール。
論文の指導を行ってくれた教授と、もう1人の先生。
私の職場に実際に来て、文書管理の指導を行ってくれた方です。
うちの職場の文書管理改善を二人三脚で取り組みました。
この方は、大学院では二期生の先輩になります。

夜になって残業をしていると、その先生から返事がありました。

「おめでとうございます。
それだけの偉業を達成されたことが、
新聞の掲載ということにつながったと思います。
自信を持って、これからも文書管理に取り組んでください。

また、職場では多くの方からお祝いをされているでしょう。
でも、みなさんがアンケートに答えてくれたから
これだけのことができたという感謝の気持ちは忘れずに伝えてください。」

はっとしました。
今日1日、お祝いにお礼は述べても、みなさんのおかげですという
感謝の気持ちは全く述べていなかったからです。

アンケートに答えてくれた職場のみなさん。
そして、私が始めた文書管理に携わってくれたみなさん。
何より私が休んで学校に行ってる間、
代わりに仕事をしてくれていた同じ係の同僚。
東京から帰ってきた次の日、業務が滞っていなかったのは彼らのおかげです。

それを忘れて、新聞に取り上げられたことで調子に乗っていました。
私は、いらないことはごちゃごちゃ考えるくせに、
本当に大事なことは、いつも忘れてしまいます。

また気づかされました。
先生や友人、ギルメンのみんな、ここにコメントを下さる方々・・・。
みんないつも私に、いっぱい大事なことを教えてくれます。
恵まれていますね、私って。
幸せですね、これだけのことを言ってくれるなんて。

お母さんも喜んでくれたかな?
本当は、真っ先に報告しないといけないのに、
疲れてオナカが空いてたんで、ご飯食べることしか頭になく、
帰ってきて、お線香を上げることも、新聞記事を仏壇に供えることも忘れていました。

ダメだなぁ、ほんと。
1番大事なことは、1番に忘れてしまう。

みなさん、いつもありがとう。
この言葉の意味を本当に理解できるのは、まだまだ先の話かもしれないけど、
これからもずっと、よろしくお願いします。