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今日はですね、また車の中で「表現する」ということについて考えてたんですが、
それが結構おもしろかったんで、つらつらと書き綴りたいと思います。
まめぞーです。こんばんは。

ほんとは、私はこのブログを書くとき、
こんな風な感じで書いてますよってことを
書こうかなぁと思ってたんですが、
なんかいつの間にか観念的なものの考え方になっちゃって。

人は「表現」をします。
音楽を作ったり、絵を描いたり、陶芸をしたり、そして文章を書いたり。
それは人に何かを伝えるために。
自分の考えであり、感情であり、想いであり。

つまりそれは、「自分自身」を人に伝えているのではないでしょうか。
たまたま私は、文章を書くことによって表現をしていますが、
人というのは、泣いたり、笑ったり、怒ったり、喜んだり、
話したり、動いたり、つかんだり、離したり、走ったり、歩いたり
全てのことで自分自身を表現しているんじゃないかと思うんです。

だとすると、私たちは、何も芸術に携わるんではなく、
常に自分自身を表現してるんですよ。
それは煎じ詰めれば、「私はここにいるんだ。」ということを
世界中に向けて精一杯叫んでいるのが人ではないかと思うんです。

私はここにいる。
私はここに在(あ)る。
「人」それは「在る」ということじゃないのかなぁと。
だから「在る」ということは、「表現する」ことと
同じ意味を持つんじゃないでしょうか。

光は照らすことによって、闇は遮ることによって、
風は木々をゆらすことで、花は咲くことで、
鳥は飛ぶことによって、獣は走ることによって
海は穏やかにたゆたい、時に荒れ、また静けさを取り戻す。

雨が振り、やがて雪となり、乾いて空に還り、雲となり、また雨になる。
木々は芽吹き、幹となり、枝をつけ、葉を繁らせ、そして枯れていく。

そうすることで、それらは
「在る」ということを「表現」しているのではないでしょうか。
「季節」といった目に見えないものでも、
それは四季のうつろいを見せることによって、
それが「在る」ことを「表現」しています。

だとしたら、絵を描く、音楽を奏でるといった人の行為さえも
風が吹く、星は瞬くといったことと同じ意味を持つことになりますね。

おもしろい。

路傍に咲いた小さな花でさえも、
自分の存在を精一杯、世界に向けて表現しているんです。
それをずうっと考えていくと、この果てしなく広い宇宙も
私たちを構成する小さな細胞までもが、「表現」をしているってことですよね。

心の趣くままに、思いつくままに書いてますけど、
ふふふ、楽しいですね。

たぶん、夢枕獏の影響が大きいんです。
何かこうやって世界を眺めてみるのもまた、
この季節にはふさわしい気もしますね。

いやぁ、おもしろいなぁ。


何言うてんねん、このおっさんって感じですね。
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